(結社・日替わりブログ第六回)
暖かい日だった。
地面にカマキリが落ちていた。
近くに座り込んで観察しても、うんともすんとも動かなかった。
死んでいるようだった。
シロツメクサがたくさん咲いている、濃い緑の草むらのかげに落ちていた。
カマキリの黄緑色のからだと、くしゃっとなった薄い羽と、ぐしゃりとつぶれた腹。
誰かに踏まれたのかもしれなかった。
カマキリの腹からはなぜかトマトが出ていた。
トマトの分厚い果皮のした、黄色のような緑のような種を包んだ赤いゼリー状の部分がちょうどくし切り一つ分ほど、瑞々しく光を反射していた。
そして、ぱっくりとしたカマキリの大きな腹からでろんと出ていた。
木の棒でつついてもカマキリは動かない。
やっぱり死んでいるようだ。
赤いゼリーに包まれた種子たちがぶるるんと少し揺れた。
カマキリのお腹の柔らかな膨らみのなかにはトマトが入っていたんだ!
新しい発見に興奮したわたしはひたすらカマキリの死骸を観察した。
もちろん、カマキリが死んだところに誰かが偶然トマトのゼリーの部分だけを落とした可能性もある。
しかし見れば見るほど、真っ赤なブルブルはカマキリの腹から出ているのだ。
どうにか持って帰れないだろうか。
お父さんとお母さんにこの発見と感動を伝えたかった。
しかし、いい方法はないか探していたその時、先生が遠くからわたしを呼ぶ声がした。
日は既に真上ほどまで高くなっていた。
外遊びの時間は終わり、お昼ごはんだと呼ぶ先生の声に従ったわたしはカマキリとトマトを庭に置いて保育園の中に帰ってしまった。
夕方の外遊びの時間、わたしはもう一度カマキリの元へ向かった。
腹からトマトを流したカマキリをもう一度見たいと、誰よりも早くシロツメクサの原に着いた。
しかし、どこを探してもカマキリとトマトは見つからない。
誰かが持ち帰ってしまったのかもしれないととても悲しくなった。
帰り道、わたしは迎えに来てくれたお父さんに、カマキリの腹にはトマトが入っているのだということをこっそり教えてあげた。
これはわたしがトマトを食べるたびに過ぎる思い出だ。
カマキリの腹にトマトがつまっていることを知って15年ほどが経ち、トマトを食べる機会なんて星の数ほどあった。これからももちろんあるだろう。
その度にわたしは、「あ、カマキリの腹から出てたやつだ」と頭の隅の方で思いながらトマトを食べる。
カマキリの死骸とその腹から出たトマトを思い出したところで、トマトのおいしさは揺るがない。今までのトマトも今日のトマトもおいしかったし。
明日のトマトもおいしいといいなあと思う。
作、糸鹿さんか