我ら結社・創造

空前絶後の法大非公認サークル、結社・創造です。

特異生物学入門Ⅰ 第二回授業録

(結社・日替わりブログ第十回)

 

 帝都大学 本多英二教授

 

 えー、この授業は特異生物学入門です。大丈夫ですか? 前にあるプリントとリアクションペーパー取ってってくださいね。

 はい、じゃあ第二回、って言っても前回は単位やレポートの話と触りをやったくらいだから、今回は実質一回目なんですがね。とりあえず、前回の軽いおさらいから。

 特異生物学において特異生物が指す対象は、いわゆる巨大怪獣とイコール、ではないという話をしました。南海の孤島で見つかったマタンゴに、古代の蜻蛉であるメガヌロン、フナムシの突然変異であるショッキラス。メガヌロンなんかは小型の怪獣と言われることもありますが、マタンゴなんかは無視されやすい。そうした生物も特異生物学の範疇となることに留意しておいて下さい。

 一方で、外来知的生物、いわゆる宇宙人なんかは特異生物学には含まない。えー、例えば1957年に襲来したミステリアンや1959年にナタール人、1965年のX星人なんかは含まない訳ですね。外来知的生物は宇宙生物学という別の分野になるわけです。

 で、特異生物学と宇宙生物学の両方の対象となり得るのが…… はい、スライドに映った怪獣らです。1964年に出現したキングギドラに、1972年に出現した侵略兵器ガイガンガイガンは機械工学、生体工学の分野も関わってくるので、大学同士でサンプルの取り合いなんかがあったりして大変だったとか聞きますが……  あとは、1994年のスペースゴジラに、1999年のミレニアン、もしくはオルガと呼称される生物です。特に最後の奴は宇宙人であり怪獣でもあるという、それまでの常識を覆すような奴でしたからねぇ、世紀末にほんとに空からノストラダムスの予言の通り、恐怖の大魔王が降ってきたみたいな話題にもなっちゃって。また、ビオランテやスペースゴジラと並ぶ、数少ないゴジラ細胞との融合例でもありましたから。

 ま、こんなところが前回のおさらいといったところかな。はい、今日は特異生物学の歴史についてですね。教室前のプリントとリアクションペーパーはとりましたか? とってない人とか、後から入ってきた人は取っていってください。

行き渡ったかな?

 えー、まず特異生物学という学問が生まれたのは1954年、山根恭平博士らによるものでした。1954年、そう、ゴジラと初めて遭遇した年ですね。古生物学者だった山根恭平博士らがゴジラの出現を受けて作りました。ただ、怪獣が現れたから特異生物学が作られた、というわけではなく、現れた怪獣がゴジラだったから特異生物学を作らざるおえなかったんですね。

 実際のところ、ゴジラ以前にも怪獣が出現したという記録があります。そう、あるんです。1933年に出現した有名なニューヨークのキングコングと、1953年に同じくニューヨークに出現したリドサウルス。リドサウルスの方はゴジラの影に隠れて日本じゃ知らない人は多いかもしれませんが……  当時の写真、映像資料があまり残っていないことや、翌年にゴジラが出現したため、日本のメディアがリドサウルスを取り上げることが殆どないです。しかし、特異生物学的観点から見れば、リドサウルスには唯一無二の特徴を、しかもかなり厄介な特徴をですね、持っているんです。リドサウルスは未知の病原菌を血液中に含み、攻撃され舞った血飛沫が感染症を広げたと当時の記録に残っています。

 少し、話は逸れますが、特異生物学は学問ですが、研究によって多くの人を救うことができる学問であると誇りに思っています。特異生物学で最も主流なのはG学とも呼ばれるゴジラ学ですが、特異生物学において最も大切なのはリドサウルスのような、多くの人々から忘れさられようとしているが、実際には大変危険な生物を研究し、次に備えることだと考えます。強力な兵器だけでは勝てない、人を助けられない、救えない。だからこそ、特異生物学の研究が必要だとおもうんです。もし、病原菌を撒き散らす巨大生物が現れたときに、リドサウルスの研究が進んでいれば被害を減らせるかもしれません。

 すいません、逸れましたね。ええと、リドサウルスですが、今でこそ怪獣とみなされますが、当時は古生物学の範疇でした。化石では発掘されていたという点で既知の生物であり、巨大だったという点以外でわかりやすく特異な点がなかったんですね。リドサウルスの持ち込んだ病原菌の災害とリドサウルス本体はわけて考えられてしまい、特異生物学の成立に繋がらなかったんです。

 ですが、ゴジラは違いました。近代の兵器を一切受け付けず、高圧電流を物ともせず、あらゆる古生物の特徴と合致しない背鰭をもち、あげく放射熱線を吐く。こんな出鱈目な生物が古生物学の範疇に収まってたまるか! という理由や、山根博士がゴジラの2頭目の到来を予言していたっていうのもあって、特異生物学が成立しました。ただ、最初は2頭目が現れると信じる人も、というより信じたくない人が多く、山根博士はゴジラにあてられた、なんて新聞に中傷される、なんてこともありました。ただ、皆さんの知って通り、山根博士の懸念は当たりました。

 翌年の1955年に2頭目ゴジラアンギラスが出現しました。そして、このアンギラスという怪獣が特異生物学の基礎となりました。ゴジラアンギラスは大阪に上陸し、戦闘に至ったのですが、この時アンギラスゴジラの放射熱戦に焼かれたとはいえ、分厚い甲羅のおかげで全身が残りました。この死体を利用して、巨大生物の生態組織の採取や骨格の研究、古生物の際の明確化が可能となったのです。

 実は、日本では怪獣災害が多い割に、巨大生物の死体が手に入った例は少ないんですね。まず、先程のアンギラス、1964年のモスラ成体、1968年と1991年のキングギドラ、非常に状態は悪かったですが1975年のチタノザウルス、1993年のラドン、2003年のカメーバ。そう、この程度しかないのです。驚きでしょう? これまでに大きな怪獣災害だけでも35、6件以上起きているというのにです。2002年には、消滅したの考えられていた1954年のゴジラの骨格を丸ごと回収できましたが、研究する間もなく対G兵器に転用されてしまいました。研究できる検体は非常に少ないのです。ただ、それでも、まずアンギラスに研究成果は1956年のラドンや1958年のバランの撃退に役立ちました。ただ、その後のパシフィック製薬事件、第二次キングコング騒動とも言われたそれは、さまざまな影響を残しました。怪獣に関するモラル的な話ももちろんありますが、大型の怪獣を運ぶことが可能であるということは、その後の特異生物学の発展も相まって、一つの巨大な実験施設、というよりかは観察施設とでもいうべきでしょうか、小笠原怪獣ランドと呼ばれる怪獣隔離施設の建設につながりました。10体の怪獣の隔離に成功し、行動学的見地からの研究が大きく飛躍しました。ただ、1968年のキラアク星人襲来によって破壊され、その後の研究団体の資金難などから同様の施設が作られることはありませんでした。ただ、先ほどいったキングギドラの死体が一連の事件で確保することができ、最初で最後の宇宙怪獣の検体となりました。

 えーと、大半は特異生物を研究し、怪獣災害を減らすことを目的としていた特異生物学ですが、だんだんと科学者のモラルを問うような事件を引き起こすことになりました。

 ここで質問です。

 もし、あなたが魔法のランプを手に入れたら願い事をしますか? ただし、魔法のランプが望み通りの結果をもたらすとは限りません。

 魔法のランプを使うという人手をあげてみて。おー、大体半分くらい。

 じゃあ、使わない人は? これは……4分の1くらいかな。他の人は魔法のランプを手にいれたら何をするんでしょう。

 では、その魔法のランプがゴジラの細胞だったとしたら、どうでしょう。

 1989年のビオランテ事件がそれでした。まぁ、週刊誌などではビオランテを作った白神博士を狂気の科学者などと取り上げていましたが、白神博士でなくとも起こり得た事件でした。えー、プリントの新聞記事を見てください。これは、ビオランテ事件の前の新聞記事です。G細胞、ゴジラの細胞によってガンを治療し、強靭な農作物を開発して食料問題を解決する、なんていうように謳われています。ゴジラの特徴の一つである再生能力の高さの秘密がG細胞にあるとわかると、G細胞は遺伝子工学における魔法のランプになったんですね。特異生物学者の中にも単に怪獣の研究をし、災害への対策をするだけでなく、人類に何かしらのフェードバックがあってもいいのでは考える人が多くいました。1974年の特異生物学者だった真船博士が地球侵攻を試みた外来知的生物に協力した真船事件や、その後10年、特異生物が一切現れなかったことで、特異生物学に対する世間の風当たりが厳しいまま、予算や補助金削減など特異生物学の置かれる環境は厳しいものとなり、その状況の打開を図って、特異生物学の応用としてG細胞の利用するという動きは確かにあったのです。また、サラジア共和国でG細胞を利用した小麦の作成の研究が行われており、海外に遅れを取るべきではないという焦りもありました。サラジアの研究は爆破テロで中止されましたが、もしテロがなければバラのゴジラ化した生物ではなく、麦のゴジラ化した生物が生まれていたかもしれませんね。

 ビオランテ事件によって特異生物学はまたしても信用を失ってしまい、研究内容の透明化や、特異生物の細胞についての取り決めについてという大阪議定書の制定にもつながりました。

 こうした逆境に立たされた特異生物学でしたが、続けてモスラキングギドラが出現したことで、その重要性が再確認され、再び予補助金や予算を確保できるようになりました。その後はゴジラ幼体の確保やラドンの検体を確保することに成功し、2004年まで続いた特異生物災害群の対策に尽力していくことになりました。

 そして、再び10年後の2014年にハワイやサンフランシスコにゴジラが出現すると、2016年には東京に再びゴジラが上陸しました。ただ、このゴジラについては暫定的にゴジラと呼称されているというか、背鰭の特徴からゴジラと呼称されていますが、実際にはいくつかの違いがあり、その名称については今も議論が続けられています。特に、2016年のゴジラについて、最も詳しいと考えられている牧教授が、その災害に関連して亡くなられているので…… 研究内容を世界に対して開示しましたが、まだ進んでいません。この中に院に進もうと考えている人がいれば、このゴジラに関わる機会があるかもしれませんね。

 えー、本日はこれで終わりです。来週は特異生物の分類は可能かについてと、時間があればゴジラについて少し、触れます。リアクションペーパーは書いたら、前の教卓まで持ってきてください。          

 

            ※注意 これは東宝の世界です※