我ら結社・創造

空前絶後の法大非公認サークル、結社・創造です。

人間!人間!

(結社・日替わりブログ第四回)


人間について
薄皮で覆われた肉塊が、べろりと布で丁寧にまかれている。布の色は自然物から生気を抜いたような感じが主流らしい。例外は黒で、それだけは色がハッキリしていて分かりやすい。

黒といえば、大抵の人間の頭部の死んだタンパク質はその色だ。それをアルカリで脱色して異なる色を付けるのが一般的にも浸透した方法のようだった。頭部に蓄積したタンパク質の死骸は、ときに高度に技術的な方法で加工され、またその程度によって評価される場合がある。

このように人間は生きたタンパク質と死んだタンパク質、ほかには水分と脂質によって形作られている。割合としては水分がもっとも多いのだが、人間のタンパク質に対する執着はその食性を先鋭化させることさえもあるので侮れない。

また人間の肉のうち、質量はそれほどでもないにも関わらず、もっとも相互評価の対象となるのは頭部正面の造作のようだった。パーツのラインナップは共通で、その配置や色、形の美しさ等を競うらしい。

そのための様々な技術と言ったらまったく理解不能の域であり、眼球に色付きのプラスチックを乗せて角膜の面積を大きく見せようなどということが普通に行われている。とくに雌雄の別によっては、連日表皮に種々の脂をうすく塗りつけ、また色付きの粉を加えて外出することが当然だ。

そこまで元の容貌に手を加えておいて、その実求められているのは自然さであるというから笑止千万。しかも、こうした外見に関する社会規範は顔面のみならず、身につけるもの全てに対して効力を発する。

例えば足に着ける靴は、その身分によって望ましい踵の高さが規定されている。ひどいことに、靴の形が肉体にとって適切であることより、社会規範の方が優先されることも多々ある。

このようにして人間というものは、誠に不可解極まりない。きっと全員頭がおかしいのだろう。

しかし一歩外に出ればどいつもこいつも人間!人間!
人間でなければ、人間ではない。当然のことだ。

私も頭部をアルカリに浸けて色を変え、あまつさえ熱を加えて偽りの自然なウエーブを作り上げている。そのために既に死滅した細胞を金属板で挟みあげてはガチガチ鳴らし、油脂や糊を付けて形を固定するのだ。

眼球にもプラスチックを乗っけて角膜を拡大させて見せているし、いろいろな油脂と粉末を顔面に塗って外に出る。場合によっては足部から血を流しつつ、社会規範に沿った靴を履く。

揃いも揃って気狂いどもが。正気の沙汰ではない。

こんなにも必死に人間のフリをしているのに、生まれたときから人間なのは一体どういうことだろう。思う通りの自然な振る舞いは不自然であるという。当然のごとく足で歩いているのに、「なぜ逆立ちしていないのか」と謗られている気分だ。仕方がないのでずっと手を地面に着けて歩いている。

世界と私のどちらが狂っているのか知らないが、早く正気に戻ってはくれないか。
そう願えたらどれほどよかったことだろう。
ところがタチの悪いことに、私の頭はまともだし、世界は意識を持たない。寝て起きてもドアを開けたら人間!人間! 醒めない悪夢は現実である。

この世界には人間しかいないのか。人間としてこれからもやっていかなくてはならないのか。
まったく難儀なことだ。
人間なんだろう? お前も大変だな。


作、ジョウシキ